団地ニュース 平成30年1月号

         迎春 

            本年も宜しくお願いします。

               平成30年 元旦

 

    ≪祝・経済産業大臣表彰受賞≫

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 昨年11月、全国卸商業団地協同組合連合会(商団連)創立50周年記念式典が東京で行われ、橘理事長が商団連役員としての功績を称えられて経済産業大臣表彰を受賞された。
 橘理事長は、5名の受賞者を代表して謝辞を述べられた。

 

    ≪祈・交通安全県民運動出動式≫

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 昨年12月、平成29年年末の交通安全県民運動出動式が組合会館で行われ、組合事務局の前田勝任主任が飲酒運転根絶宣言を行い、東明幼稚園の園児達に交通安全グッズが贈呈された。
 出動式終了後、長崎県警音楽隊の演奏をバックに白バイとパトカーによる車両パレードが行われた。

 


●年頭のご挨拶●

  佐世保卸団地協同組合 理事長 橘高克和

組合・橘克和理事長.JPG 新年あけましておめでとうございます。組合員の皆様、そしてご家族や社員の皆様ともども、お健やかに新年を迎えられた事とお喜び申し上げます。
 今年は戌年ということで、その活発さを見習い、私どもも十分努力を重ね、良い年にしたいものです。

 

 

 

 

 


「一年の振り返り」

 どうしようもない自然災害が、九州をまたしても襲いました。平成29年7月5日から6日にかけて福岡県と大分県を中心とする九州北部で発生した集中豪雨は、自然の恐ろしさを目の当たりにさせました。被害に遭われた皆様には一刻も早い復興をお祈りいたします。
 そして昨年も大手企業の不正、不祥事が目立ちました。ここ数年、大手企業の不正が後を絶ちません。日本の企業の培ってきた信頼を一瞬のうちに粉々にされた感じが致します。一旦失った信頼を取り戻すことは容易ではありません。今後の影響が懸念されます。
 10月の衆議院総選挙では、保守勢力が躍進し、リベラルと呼ばれる革新勢力が一気に力を失ってしまいました。「立憲民主党」は躍進しましたが、他の野党は議席を減らしました。
 さて地元長崎県では明るい話題もありました。スポーツの分野では、サッカーのV・ファーレン長崎が挑戦13年にて「ゼイワン」という夢の舞台に昇格いたしました。関係者の皆様、誠におめでとうございます。同じサッカーでは東京五輪サッカー男子監督に長崎出身の森保一氏が就任されました。
 文化面では、長崎生まれの英国人イシグロ氏にノーベル文学賞、佐世保市在住の佐藤正午さんが直木賞、佐世保市出身の小川慶太さんがグラミー賞をそれぞれ受賞され、お祝いムードに包まれました。


「組合の現状と今後」

 組合財政は平成16年度から平成23年度にかけての組合員の大型倒産が相次いだいわゆる「3回目の危機」を無事乗り越えたと感じています。当時は14年間徴収していなかった組合費を復活徴収することとし、また2期連続して赤字決算を行い、組合員の皆様には多大なご心配ご迷惑をおかけしたと思っています。しかし遊休不動産の売却や倒産跡地の活用により、倒産跡地借入金もピークからすると3分の1にまで減少し、組合費未徴収や出資金配当を4年連続して実施し、加えて組合の各部会へ旅行補助金を助成するまで回復してまいりました。今年も組合員皆様に満足していただけるように、より一層の財政健全化を図り、各種事業に積極的に取り組んでいく所存でございます。
 全国的には、私が理事長を務めます全国卸商業団地企業年金基金も前身の同厚生年金基金から無事に移行し、初年度の決算を迎え、おかげさまで剰余金を計上することができました。昨年6月末基準では足元の加入者数も増加しています。
 今年はいよいよ(仮称)大塔台団地の建設が着手されます。工事期間中の車の出入りなど慌ただしさを増してくるでしょう。平穏無事に工事が終了するよう協力していきます。
 末尾になりましたが、本年が組合員皆様にとりまして素晴らしい年になりますようご祈念いたしまして新年のご挨拶と致します。

 


★傘寿を迎えて★

  滑ロ久 代表取締役社長 志久雄三

丸久・志久雄三社長.JPG 佐世保市宮田町にて2200gの未熟児で生まれ身体が弱かったのですが、保立小学校、清水中学校を経て、30歳代を過ぎる頃は体重100kgを超える強い身体となっていました。
 私は卸団地に会社を構えて良かったと考える1人ですが、傘寿となりその思いは段々と深くなるばかりです。一つは先輩の方々に素晴らしい人が沢山居られたということであります。和信産業の浦山社長(現会長)をはじめ、プレナスの故塩井社長、太陽商事の故内野社長等々、数えれば切りがありません。そんな方々と一緒に過ごせた時間を考えると、こんなに恵まれたことはなかったと毎日仏様に手を合わせながら感謝しております。
 そんな私もいつの間にか傘寿となりました。人生七十古来希なりと言っていたのは昔々の語り草となりました。現在では「よし!100歳まで生き抜いて、これからも健康に過ごしてやるぞ」と意気込んでおります。

 


◆傘寿を迎えて◆

  山二塗料産業梶@代表取締役社長 古賀辰則

山二塗料・古賀辰則社長.jpg 皆様お健やかな新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。さて私、気が付けば馬齢を重ねてはや傘寿、年月の流れの速さに只々驚く今日この頃であります。
 顧みますと、私が「天職」とした60年の塗料人生は、創業者山下会長の教えとレガシーを受け継ぎ、会社の業容を拡大しつつも今日まで大過なく運営をしてこられましたのは、偏に卸団地組合のお陰と感謝致しております。
 発足当初の昭和47年9月から始まった6ヶ月間の教育事業で「商業士認定講座」や「経営管理」の研修で学んだ資金運用・予算統制、財務諸表の読み方等々の実践的で大変貴重な勉強の機会を与えて頂きました。取分け強烈に印象に残るのが「JMC」の社長コースに参加した事です。川棚の孔雀荘に2泊3日の缶詰で、早朝から声を嗄らして「激」を飛ばし、「企業の社会的責任」とは、「社員の福利厚生」をどうする、「組合の絆」について喧々諤々深夜まで激論しました。「販売は戦争である。売って、売って売りまくれ!」「ファイト無きものは去れ!」と。その「孔雀会」メンバーの皆さんは、いま天国から50周年を迎えた卸団地組合が、更に未来に向けて大きく羽ばたく「絆」を温かく見守っておられるでしょう。
 組合設立の創成期を熱気溢れる情熱で力強く牽引してこられた方々で、今も現役で活躍されている方は和信産業の浦山会長さんだけで、当時を知る人も少なくなり寂しくなりました。皆さま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

 


▲男盛りは古希から▲

  潟Nギマチ 代表取締役社長 坂根康伸

クギマチ・坂根康伸社長.png 還暦以降、「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら百まで待てと追い返せ」(渋沢栄一)に共感を覚えながら歩んで参りましたが、2年前に癌を患い、考え方を大きく変えるきっかけとなりました。この先の未確定の残り時間を考えた時、まず考えなければならないのは今までお世話になった人や社会への恩返し、一度しかない人生を生きた証作り、そして今まで以上に日々の時間を大切にすること、この3つの点を常に念頭に置かずして人生双六の満足な上がりは迎えられません。
 図らずも大病を患い、当初計画に狂いを生じましたが、これも人生。取り敢えず古希をめでたく迎えられましたので、古希からの男盛りに磨きをかけていけば、枯れかかった木でも大輪の芽がつく可能性があることを証明したいものです。

 


■還暦を迎えて■

  鰹ャ柳 代表取締役社長 小柳茂樹

小柳・小柳茂樹社長.JPG 私も、本年1月15日で満60歳、還暦を迎えることになります。還暦と聞いて一番先に思い浮かんだのは、私が小学校6年生の時に祖父が亡くなった記憶です。小学校の修学旅行から帰った時、既に祖父は亡くなった後で、我が家には盛大な祭壇が並べられ、多くの人が弔問に来ていました。日常とは異なる不思議な高揚感が記憶に結びついたようです。祖父は肺結核で当時の北病院に数年来入院しており、治療の甲斐無くあの世に旅立ちました。確か享年64歳だったはずです。戦後、満州から引き揚げてから、佐世保で裸一貫から苦労を重ねて起業した祖父の身体は、底なしの酒好きだったこともあり、思いの外疲労困憊していたのかもしれません。ただ64歳という祖父の年齢は、当時としては「これからは余生を楽しむ」というタイミングでした。今の私とほぼ変わらぬ年齢で旅立った祖父。当時の寿命としては決して早過ぎることはない年齢でしたが、「もう少し長生きして皆と楽しい酒、愉快な時間を楽しみたかった」という祖父・福一の独り言が聞こえてきそうです。
 還暦は第2の人生をスタートさせる時期と言われてきました。最近では医療技術、栄養事情、労働環境が進歩して90歳健康寿命が当たり前になった我が国です。65歳あるいは70歳定年が目の前に来ています。60歳還暦が身体寿命に合わせて70歳になる日も近いかもしれません。そういう意味では、60歳還暦はまだまだ洟垂れ小僧、未熟者の年齢です。
 ここ千年で世界に影響を与えた100人の1人に、日本人からただ1人葛飾北斎が選ばれています。北斎と言えば、浮世絵、富嶽三十六景が有名ですが、数え90歳近くまで現役絵師として活躍した長寿の人でもあります。人生1世紀を、疾風の如く駆け抜けた北斎の言葉が残っています。「天が5年命をくれたなら、真正の絵師になれただろうに」。
 還暦を大切な節目としてしっかりと受け止め、情熱的、積極的な北斎を手本に第2、第3の人生に備えたいと思います。